爆破事件桐島聡の勤務先、住まい、入院病院は?逃走方法や偽名について調査!

過激派組織「東アジア反日武装戦線『さそり』」メンバーで、1974~75年の連続企業爆破事件に関与した疑いがある

桐島聡容疑者(70)とみられる男性が、29日朝、入院中の神奈川県内の病院で死亡した。

男性は末期がんを患っていたという。

 

警視庁公安部はDNA型鑑定などを進め、本人確認が行われれば書類送検などの措置を検討しているが、

50年近くにわたる逃亡生活の全容解明は難しい状況となっている。

 

桐島聡の務めていた工務店はどこ?

  • 桐島聡容疑者は勤務先近くの木造2階建て住宅に一人で暮らしていた
  • 神奈川県内の土木工事会社に住み込みで勤務働いていた
  • 藤沢市南部の閑静な住宅街の一角

 

桐島聡容疑者は、神奈川県藤沢市南部の工務店で働いていたようです。

現在の入院先である湘南鎌倉総合病院から近い場所にもいくつか候補があり、

勤務先の詳細情報は調査中で、新たな情報が入り次第、こちらで随時更新していきます。

 

 

桐島聡の住んでいた自宅はどこ?

引用:毎日新聞より

桐島容疑者は工務店に住み込みで勤務し、数十年にわたり同じ建物に住んでいたようです。

こちらは桐島容疑者が住んでいたと思われる神奈川県鎌倉市の住宅写真になります。

 

 

写真からは、長年人が住んでいない空き家のような雰囲気を醸し出しています。

しかし、雨戸が閉められているということは、完全に放置されていたわけではなく、誰かが定期的に管理していた可能性も考えられます。

 

また簡素な生活を送っていた様子が伺えます。

二階が物置として使われていたことから、桐島容疑者は必要最低限の生活空間に留め、余分なものは置かないようにしていたのかもしれません。

薄暗い照明と換気の悪さは、長期間人が住んでいない空き家のような印象を更に強めています。

 

桐島聡の偽名「内田洋」の謎!

逃走中、桐島容疑者は「内田洋(ウチダヒロシ)」の偽名を使って生活していました。

何十年も同じ偽名を使い続け、全国指名手配中にもかかわらずバレなかった理由には手配書の写真が20代前半のものであり、

現在は70歳であるため人相が大きく変わったことが考えられます。

 

逃亡中の桐島容疑者が「内田洋」という偽名を使って生活できた理由は、いくつかの要因が考えられます。

1. 身元確認の徹底がされていなかった

2003年当時、現在の厳格な身元確認制度はまだ確立されておらず、偽名を使って生活することが比較的容易だったのかもしれません。

特に、日雇い労働者や小規模な事業者では、身分証明書の提示を義務付けていない場合も多くありました。

2. 田舎での生活

桐島容疑者が潜伏していた神奈川県鎌倉市は、当時、都会に比べて人口密度が低く、住民同士の交流も比較的少なかった地域です。

そのため、周囲の人々に素性を疑われることなく、偽名で生活することができた可能性があります。

3. 社会との断絶

指名手配犯であることを知られたら、逮捕される可能性が高いため、桐島容疑者は家族や友人との連絡を絶ち、

社会との関わりを極力避けて生活していたと考えられます。そのため、周囲の人々に素性を調べられる機会も少なかったでしょう。

※注意点:上記はあくまでも推測であり、実際の状況とは異なる場合があります。

 

桐島聡は末期がん患者としての入院、死亡!

桐島容疑者は神奈川県内の湘南鎌倉総合病院に入院中で、末期のがんを患っています。

今年に入ってから入院しており、1月29日朝、入院先の神奈川県内の病院で死亡した。

DNA鑑定なども、当時の情報がないようですし、本人からの証言もとれないので、今後の調査は難航するすると思われます。

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